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ぼくの今年の3大ニュース、ランラン編

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『ぼくの今年の3大ニュース、瑞慶覧長明編』

今年の3大ニュース残りわずか、
毎年無駄に長くなるので今回はサクッと行きたいと思います

第3位!

『首里城炎上』

僕の故郷である沖縄のシンボル首里城が火災で炎上しているというニュースをテレビで観ました。

ビックリして実家に電話をするも
親もそうなんだ〜と他人事のよう(^^;

あれ?そんな扱いだっけ?首里城?
沖縄のシンボルやん!
二千円札にも載ってるやん!
と捲し立てても、上の空

逆に親に何か思い入れある?
と聞かれ考えに考えた結果

特に何も無い事に気付いた(^^;

そんなもんか首里城、所詮埼玉に魂を売った男にはその価値はわからないか(笑)

「そんな事より最近ルンバ買った便利だよ」
と親に言われ
ルンバ買った?はて?と本気で思っていると
家庭用ロボット掃除機のルンバの事だった

「あールンバね知ってる、知ってる」
と3秒程の空白の時間を過ごした後答えると

「ルンバあんたよりも賢いよ」
どういう事やねんと聞き返したら

「あんたと違ってちゃんと家(充電器)に帰ってくるもん」

なんか、すいません、、、

来年は出来るだけ実家に帰ってあげようと思いました。

第2位!

『店長就任』

今年の8月より実は私、
店長に就任しました。
今まで副店長(名前だけ)とか
ワルツの貴公子(自称)とか
無駄に肩書きをつけてきたのですが
ようやくちゃんとした役割が出来ました。
これからはダンスホールプリンスの店長として頑張ります!!
皆様応援よろしくお願いします。

・・・これは社長になった三縄さんの話でしたね、衝撃的過ぎてつい自分の事かと錯覚していました(笑)

本当は西川口にあるGirl’s BAR PEANUTS
という店で店長に就任しました。
歴代の店長には小林ひろやす、矢澤友寛、東宝の金子先生という錚々たる顔ぶれ!
ダンス関係者ばかりが店長をやっているという不思議なお店です。
いったいどこの誰が?
何山英樹がお店を経営しているのでしょうか?

そんな愉快なお店を引き継ぐ事になり、最初は不安でいっぱいでした。なんせ普段お話してるお客様の3分の1程の年齢の子達をまとめて、男性客の接客をお願いするのが仕事内容ですから。
ダンスで例えるとラテンとスタンダード
スポーツで例えるなら野球とサッカー
うちの店で例えると飯島君と徳山社長
くらい違ってきますね。
あ、最後はほぼ同一人物か(^^;

実際に業務に入ってみると意外とすんなり
店の雰囲気に馴染めていきました。
しかしながら出勤するだけでキャストに感謝されるという謎の状況が続き
不思議だなと思いつつ連続でお店に出てると
キャストの娘に
「いっぱい来てくれるのは有難いけど、また今までの店長みたいに段々来なくなるんじゃないかなと心配になる」
と言われ
歴代店長達あんまり来てなかったんかい!
確かに矢澤も後半、店大丈夫か?ってくらい良く一緒に飲み歩いてたので合点がいきました。そう言われて出来るだけ店に顔出そうと思いました。

今では女の子の代わりにお客様の接客もするようになりガールズバーとは?と言う感じで働いております。
もし西川口に遅い時間までいる時はお立ち寄り下さい。女の子に混じって小さいおっさんが1人接客してる姿を見るだけでも酒の肴になるんじゃないかな?

勿論ダンスも精一杯頑張って行きますのでこれからもよろしくお願いします!

第1位!

『おばぁとの思い出』

秋も終わり寒くなって来たなと感じ始めて来た11月の頭頃その悲報は僕のスマホに飛び込んで来ました。

金曜の夜遅く、ガールズバーの洗い物が溜まっておりエアコンの暖かい風も届かない寒い洗い場で1人、洗い物でも始めるか〜とシャツの袖をまくっていた時でした。
スマホの通知が一件来てる事に気付き、
こんな時間に誰だろう?
画面を見ると母親から一通のラインが

「おばあちゃんが亡くなりました。
告別式は月曜になります。」

画面を見た時震えました。寒さのせいか感情の揺れのせいなのか、その時の僕にはわかりませんでしたが、洗い物の事を忘れすぐさまラインの返信をし、そのまま飛行機の予約画面を開き飛行機の予約を一心不乱に探していました。

月曜の仕事のキャンセルもしなきゃ、
レッスンの予約もあったよな?
朝に帰るより前日の夜に帰った方が確実だよな?明日の仕事はどうしよう?
と頭の中をフル回転で働かせ、そこにはおばあちゃんの悲報を悲しむ間もなく淡々と事務処理的に予定を作る事だけに専念していました。

中々洗い場から出てこない僕を見兼ねてか、はてまた用事があってかはわからないが洗い場のドアをキャストの娘が開いた時に我に返り、振り返り様に聞かれてもいないのにおばあちゃんが亡くなった事や仕事を休む事、飛行機の予約をどうしようか他にも関係ない事まで早口で喋っていたと思います。
心を落ち着ける為なのか平然を装って会話をし、忘れていた洗い物を見た時に現実に戻された気がしました。

何やってるんだろうな俺

それからも悲しみを感じる事なく冷静な状態を作り無難に仕事をこなして帰路に着く
帰り道の寒さの中で色々と昔の事を思い出していました。
僕の実家は沖縄にあって、
沖縄の人達は年配の人や自分の祖母の事を親しみを込めて『おばぁ』と呼びます。
そんなおばぁとの思い出が仕事を終えた後の自分に不思議と悲しみでは無く癒しを与えてくれました。
亡くなった事実を自分の中で処理出来て無かったのか現実感はそこには無く懐かしさだけがあったのを覚えています。

次の日の仕事も休む事無く働きました。丁度プリンスにスタッフとして入り飛行機の決済が自分のクレジットカードで出来なかったので三縄さんに助けて貰って飛行機の予約を取る事ができました。
そこから日程調整の連絡を各所に行い、夜の仕事も終えて疲れ果て、出発の準備は明日で良いか、、とそのまま寝ていました。

告別式の前日、飛行機の出発の時間に間に合わせる為準備をしているとある事に気付きました。

あれ?喪服持って無くない?

買いに行く時間も無く
仕方無いとラテン用のパンツとジャケットを持って飛行機に急ぎました。
バタバタと準備し、実家まで電車に乗り、飛行機に乗り、モノレールに乗りと、着いた頃には夜遅くになっていました。

母親に喪服こんなんしか無かったと
ダンス用のパンツとジャケットを見せると呆れられました。あんまり普段見慣れてるせいか感じないけど、やはり一般的に見ると割と異質に見えるらしく。
その格好じゃさすがに恥ずかしいと僕が昔1番太っていた時に買って貰った、ブカブカの背広とパンツを出してくれました。
見るからにサイズの合ってない服を見ながらなんだか自分が持って来たダンスの服を否定され、今の生き方まで否定されてるような気がして少し悲しくなりました。
しかしながら、流石に一般の席、ちゃんと擬態しなければ他の人にも恥をかかせると思い無く無くサイズの合ってない服を来て告別式に参加する事になりました。

告別式の朝、両親は早朝から準備をして急いでおばぁの家に出かけて行きました。
僕はというと残された姉と福岡から急遽帰ってきた妹と共に車でおばぁの家に向かいました、久しぶりに会う妹と色々話つつ火葬場までの道のりや式場の場所までのルートを覚えなきゃなと、おばぁとの別れよりも式に追われて深く考える時間がありませんでした。

おばぁの家に着くとそこには40名近い親戚が集まり皆早朝からピリピリとしたムードが漂っていました。
僕は1人、中学校に入りたての様なサイズのあってない服で皆の中に入るのが堪らなく恥ずかしく感じてずっと下を向いていました。
そうしてお坊さんがお経を詠みその日初めて
おばぁとの対面を果たしました。

凄くやせ細った体に付けた着物が今の自分の格好と一緒だなと少し微笑ましく感じ、
こんなに沢山の子供達に見送られておばぁも幸せだなぁとそんな風に思っていると
棺の中にビーズで作られたネックレスがある事に気付きました。

その時パッと昔の記憶が蘇りました。
そのネックレスは僕が小学生の時に大好きなおばあちゃんへと手紙に書いて渡した物でした。
それを見た瞬間に涙が止まらなくなりました。
懐かしさと当時の思い出と悲しみとよくわからないものがごちゃごちゃになって溢れてしまいました。

その時隣にいた最後までおばぁの面倒を見ていた叔母が
「これは長明(僕)があげた物でしょう?
おばぁがずっと大事に私の宝物だ、ってずっと保管してたんだよ。」
「ちゃんと天国に持っていってくれて良かったね」と叔母も涙ぐんだ顔で僕に伝えてくれました。
その瞬間から溢れてきた感情が更に爆発してもう涙が止まらなくなりました。

おばぁが亡くなった事も、どこかあたり前の様に受けいれていた自分がその時恥ずかしく感じ、
大の大人が、もう30過ぎたいい歳のおっさんが子供のように泣いてしまいました。

沖縄から離れて7年、実家に帰ってもおばぁの所にはあまり顔を出せず、たまに会いに行くと将来の事を心配され、ちゃんと就職しなさいと言われるのが少し疎ましく感じていた
自分が情けなく感じて。ただただ、いたたまれない気持ちになりました。
おばぁはそんな疎ましく感じていた僕も本気で心配してくれてたんだなとその時気付きました。
もっと会っていれば、色々と話し聞いてもらえばよかったなと、その時初めて後悔の念が出てきて、失った時に気付くって言葉が本当の事なんだなと少し残っている冷静な自分が教えてくれました。

もうその後の事はあまり覚えていません。
ボーっとしたまま火葬場に行って別れを惜しんだ事、式場に行って沢山の参列者達を見て皆んなに来てくれて有難うと思った事、お墓に行っておじぃに会えて良かったねと思った事それくらいしか記憶に残ってませんでした。

全ての式が終わり実家に帰り後ブカブカの背広を脱いで一息着いた時、母親に

「そういえばその背広もおばぁがあんたが成人した時にこれから必要だから買ってあげなさいと言われて買った物だよ、今日着けて行けて良かったね」

そう言われて
帰ってからも大号泣しました。

大好きだったおばぁへ
今までありがとう、天国でも元気で過ごして下さい。僕はこれまで、おばぁや親から受けた愛情を周りの人に配れる様な人になりたいです。
この場をお借りし、ご冥福をお祈りいたします。

以上が僕の3大ニュースでした。
サクッと終わらす予定が最後書きたいことが多すぎました(T . T)

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